市原雄亮

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市原雄亮(7月27日-)は、日本の指揮者。クラシック音楽の指揮を基本としながら、ゲーム音楽の指揮、新曲の初演・録音、バンド活動、テレビ出演、文筆業など、幅広い活動を行っている。

生涯

7月27日、新潟県上越市にて誕生する。左利きの左投げ右打ち。利き目は右。10歳の時に横浜に移住。公立の小中高を経て成蹊大学法学部法律学科に入学。四年で無事に卒業。法学士。その後、指揮者の道を目指し始める。

音楽歴

指揮活動開始以前

4歳よりピアノを始める。中学時代に吹奏楽部にてテューバに出会い、後にトロンボーンに転向。高校卒業後は音楽大学へは進まず、大学在学中に吹奏楽の指導や講習会を経験。指揮を本格的に学び始める。

指揮活動開始以後

大学卒業後、2006年より指揮者としての活動を開始。2011年、神奈川フィルハーモニー管弦楽団副指揮者オーディション第一次審査を突破。第二次審査にて同楽団を前に指揮を経験する。副指揮者は落選したものの、当時の神奈川フィルハーモニー管弦楽団常任指揮者、金聖響氏に認められリハーサルに帯同し、研鑽を積む。現在、複数のオーケストラで指揮者として活動する他、学校の音楽部の指導や、ゲーム音楽、映画音楽などサウンドトラックの指揮、オーケストラ向け新作の初演、録音にも積極的に関わるなど、クラシック音楽に限らない指揮活動にも力を入れている。

トロンボーンを高階恵、三輪純生の両氏に、指揮を金丸克己氏に師事。

日本BGMフィルハーモニー管弦楽団

2012年、自身のかねてからの構想を実行に移す。日本初となるゲーム音楽を演奏するプロオーケストラ「日本BGMフィルハーモニー管弦楽団」を設立。そのニュースはYahoo!JAPANのトップニュースで報じられれ、注目を集めた。日本BGMフィルにおいて発起人、指揮者、理事を務める。実質的な代表者としてコンサートの製作総指揮を行い、選曲や方針など日本BGMフィルの持っていた、飾らない温かな雰囲気作りの礎となった。アンサンブル公演では司会を、オーケストラ公演では指揮をこなし、ゲーム音楽に対する熱さ、選曲の妙などが高く評価される。2014年3月、文京シビック大ホールで開催された第2回公演(JAGMOプロデュース)では、昼夜2回公演、延べ3,000人以上の前で指揮を務め好評を博す。しかし、それを最後に日本BGMフィルは3月末で解散した。理由は2029年まで公の場では封印するらしい。

新日本BGMフィルハーモニー管弦楽団

日本BGMフィルの解散から沈黙すること半年、2014年9月10日に新日本BGMフィルハーモニー管弦楽団の構想をひっさげ、再始動の狼煙をあげた。アンサンブルや室内楽形式で地道な活動を続け、2018年12月には初のオーケストラ公演、「NJBP Concert #1 “古代祭り”」を開催。公演中にTwitterのトレンドで1位を獲得するなど、大きな話題となり、公演の模様を収めたBD/CDが(株)スーパースィープより全世界向けに発売される。

文筆業

文章を書くのが苦ではない質で、気づけば音楽誌「ブラストライブ」にてコラムを連載。2015年からはソニー・ミュージックから発売されたクラシックCDのライナーノーツを執筆。

ソニー・クラシカル名盤コレクション1000

黄金時代のバーンスタイン

ユージン・オーマンディ没後30年記念特別企画

その他のエピソード

  • 横浜にいる期間の方が遥かに長いが、心の故郷は新潟ということは強く言い続けており、いつかwikipediaの「新潟出身の有名人」に自分の名前が入ることを願っている。
  • 野球好きで、大洋ホエールズ時代からの横浜ファン。今年で応援歴が●●年[検閲済み]に達した。負けると機嫌が悪い。
  • 世界一カレーが好きだと自称する指揮者、世界一早くファミコンのグーニーズをクリア出来る指揮者として世界的に有名ではない。
  • 往年のファミ通の名物コーナー「バカ総研」において「おた博」が出来る以前、初めてアンケートハガキが掲載され、「おた博」が出来るきっかけとなったという噂(要検証)が存在する。
  • どちらかというと辛いものが食べられる側の人間であり、本人によれば蒙古タンメン中本の冷やし味噌は辛くない食べ物に入る。
  • 永遠の16歳を自称する。
  • 好物はカレー、ビール、ラーメン、餃子、辛くて美味しいもの、豆類。
  • 好きな動物は、ペンギン>ネコ≧フクロウ。